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「タイムチャージ」完全廃止丨今週の注目記事
企業法務弁護士「タイムチャージ」完全廃止、報酬制度に一石 狙いは?
掲載紙:日本経済新聞 | 掲載日:2025年8月23日丨注目記事を執筆された記者:児玉小百合 記者
記事によれば、2024年10月設立のTR&Associates法律事務所(代表・立川聡弁護士)は、企業法務分野で一般的なタイムチャージ制を完全廃止し、業務価値に基づく固定報酬制を導入しました。M&A、金融、労務、顧問契約等に月額報酬を設定し、単発案件は原則受けず長期関係を重視しています。生成AIの進化により時間単位の請求は非合理化すると判断し、迅速対応と「ラストワンマイル」の助言を柱としています。また、インハウス経験者が柔軟に参画できる体制を整え、多様性や「人格主義」を掲げた運営方針で、従来型事務所の文化に一石を投じたインタビューとなっております。詳細は上部URLより原典をご覧ください。
「タイムチャージ」完全廃止丨現在のタイムチャージの状況分析
世界の法律事務所におけるタイムチャージの現状
ビル式料金(タイムチャージ)の根強い存続
結論から言えば、依然として多くの大手法律事務所では、タイムチャージ制(時間単位の報酬)が主流です。米国における調査によれば、全米の法律事務所の約4分の1~3分の1は依然としてタイムチャージ制のみを採用しており(参考サイト)、大規模な法律事務所ほど代替の課金モデルの提供数が少ない傾向があると分析されています。実際、上記サイトの記述によれば、ウォールストリートジャーナルの報道(孫引きで恐縮です)によると、米国の「ビッグロー」(大手法律事務所)ではタイムチャージが2023年の2桁増収を牽引し、トップ弁護士の時間単価は2,500ドル(約37万円!)に達したとも言われます。このようにタイムチャージは依然「法曹界の定番」であり、ある法律評論では「タイムチャージは民主主義における統治のようなものだ。最高ではないが最もマシな方法だ」と評されています(出典)。
広がるオルタナティブな課金モデル
しかし、皆さまのお感じかもしれませんが、近年、「代替的な料金体系(Alternative Fee Arrangements、AFAとも呼ばれます)」も広く浸透しつつあります。調査では全米の法律事務所の約75%が何らかのタイムチャージ代替の料金プランを提供しており、もはや「オルタナティブ(代替)」という言葉が実態に合わないほど普及しています。前述の参考にしたサイトによれば、提供されている具体的なモデルも多岐にわたります。いくつかご紹介します。
- 固定額制(Fixed/Flat Fee): 依頼ごとまたは業務タイプごとにあらかじめ合意した一括料金を設定(例:契約書の作成1件〇万円)。調査によれば最多の約70%の事務所が一部業務で固定額制を交渉可能と回答しており、フラットフィーは最も一般的な代替料金形態となっています。依頼者にとって予算の明確化という利点があり、法律事務所にとっても効率化すれば利益が増えるインセンティブとなります(もっとも想定外の工数増大時には事務所側が損失を被るリスクもあります)。
- 成功報酬・成果連動型(Contingency/Success Fee): 結果が出た場合にのみ報酬が発生する方式で、訴訟の勝訴金額の〇%や、M&A成立時のボーナスフィーなどが典型です。欧米の大型案件では一部で成功報酬制が活用されており、特に米国ニューヨークのウォッチテル法律事務所など極めて専門性の高い法律事務所は時間ではなく成果に応じたプレミアム報酬を請求するスタイルで知られています(出典)。ただし、成果報酬はリスクと隣り合わせであり、依頼者に成果が出ない場合は事務所が報酬ゼロとなるため、効率の悪い事務所や経験の浅い事務所にはハードルが高いとも指摘されています。
- 割引・上限制: 大量案件受注時のボリュームディスカウントや、合計請求額の上限設定(キャップ制)も広く行われています(法務部もよくお願い/活用するところです)。一定額以上は請求しない約束により依頼者のコストリスクを抑えるものです。なお、日本ではあまり見かけませんが、欧米では、時間単価のブレンド(Blended Rate)として、パートナーも新人も一律の時間単価で請求する契約も一部で見られます。
- 月額制・サブスクリプション: 定額の月額または年額料金で、一定範囲の法律サービスを継続提供するモデルも登場しています(昔からの月額顧問料であり、本件の日経インタビューがまさにこの方式かもしれません)。例えば、社内法務部門が特定分野について外部顧問弁護士に「月額〇万円で相談し放題」といった契約を結ぶケースです。このサブスクリプションモデルでは、いちいち案件ごとに見積やRFPを経ずスピーディーに法律業務を開始できるメリットや、費用予測が立てやすいメリットがあります。もっとも、サービス範囲を双方で明確に管理しないと「使い放題」ゆえの過不足が生じる恐れもあり、綿密な運用管理が欠かせません
- Googleのリーガル部門で費用管理を担う専門家も「定額制により社内と事務所のパートナーシップが深化し、迅速な着手と料金予見性の向上につながる」とその利点を指摘しています(出典)。
このように多彩な料金形態が模索されていますが、冒頭に挙げた参考サイトによれば、特に大規模なファーム(弁護士150名超)ほど代替料金の種類は限定的である傾向も報告されています。大手ファームの多くは依然タイムチャージを収益の柱としており、代替料金の導入には慎重な姿勢が見られます。一方で、中小規模の法律事務所やブティック系専門事務所はフラットフィーや割引等を駆使して柔軟に顧客ニーズに応じていることが伺え、あるゼネラルカウンセルは「同品質のサービスが大手の半額で得られる場合もある」として中堅以下の事務所へ業務をシフトした例も報じられています。
ポストコロナ期の新たな試み
新型コロナ以降、クライアント企業はコスト管理を一層重視するようになり、法律事務所との料金交渉にも変化が生じました。多くの企業法務部門では外部弁護士費用の上昇に耐えかねており「危機的状況に近い」とする声もあります(出典)。結果、パネルレビュー(事務所見直し)や業務の内製化、そして高度なe-ビリング技術の導入など、様々なコスト抑制策が講じられています。こうした中でAFAs(代替料金)の採用も再注目されていますが、今のところ企業法務の予算に占めるAFAs比率は15~25%程度で近年大きな伸びは見られないとの報告もあります。
結局、多くの法律事務所が提案する「代替料金」も実態は、「上限付きタイムチャージ」や「時間単価の調整」といった変形モデルに留まり、本質的な変革には至っていないとの指摘もあります。
タイムチャージを全面廃止することのデメリット
タイムチャージの利点と「必要悪」的側面
価値観は多様ですので異なったご意見もあるかと存じますが、タイムチャージ制には数々の批判があるものの、クライアントにとって分かりやすいという大きな利点があります。
- 弁護士が費やした時間に応じて課金するというシンプルな仕組みは説明容易で透明性が高く、「どの作業に何時間かかったか」という情報自体が企業法務担当者にとっての重要なモニタリング手段ともなります。
- 実務上、企業の法務部門は請求書の時間記録を精査し、「この業務にこれだけ時間がかかるのは妥当か」を判断したり、必要に応じて請求額の削減交渉や将来の発注見直しを行っています。つまりタイムチャージ制は依頼者が法務サービスの内容とコストをコントロールする材料を提供している側面があり、完全に廃止してしまうとこのチェック・アンド・バランスの機能が損なわれかねません。
- 完全固定の定額制では、弁護士は効率良く仕事を終わらせるインセンティブが働く反面、成果や品質に対する動機づけが弱まる恐れがあります。極端な例では、定額報酬では早く片付けても追加報酬は得られないため、弁護士が「ここで踏みとどまって更に粘れば依頼者にとって有利になる」と分かっていても、自身の負担増になるだけなら早期決着を図ってしまうリスクがあります(これは海外の前述のウェブサイトでも指摘されているところです)。
- 一方、成功報酬型では弁護士と依頼者の利害が一見一致するように思えますが、成功報酬にもモラルハザードがあります。たとえば勝訴額の〇%を報酬とする場合、追加の努力で依頼者に1万ドルのプラスをもたらせても自分の取り分はその一部(例:3,300ドル)なら、弁護士が他の案件に時間を振り向けてしまう可能性もあります。つまり、固定制も成功報酬制も魔法の解決策ではなく、それぞれ異なる弊害やリスクを伴うのです。結局、完全な解決策が存在しない中で、タイムチャージ制は不完全ながら実務での蓄積があり信頼性の点で「落とし所」として機能しているという指摘もあります。
さらに、予測が難しい複雑案件においてもタイムチャージを残しておく意義は大きいです。例えば、企業の存亡がかかった大型訴訟(“bet-the-company”/米国でのリティゲーション等)では、事前に必要工数や結果を正確に見積もるのは困難です。そのため依頼者も「勝つために必要なだけ時間とリソースを投入してほしい」と考えるのが通常で、実際こうした重大案件は今後も引き続きタイムチャージ制で行われる(それには合理的な理由がある)と、専門家も指摘しています(出典―私も個人的にそう思います)。
以上のように、タイムチャージを全面廃止してしまうと料金体系の分かりやすさ・柔軟さ・安心感といったメリットを捨ててしまうことになり得ます。加えて、タイムチャージ制を支えるタイムシート管理やモニタリングの仕組み自体も、実は法務サービスの透明性確保に資している面があります。しかしながら、タイムチャージを維持するにしても現在の形をこのまま続けてよいわけではなく、次章で述べるようにテクノロジーの活用による適正化がカギとなってきています。
「タイムチャージ」完全廃止丨組織内弁護士としての私見丨テクノロジーによるタイムチャージの適正運用と将来展望
AIによる請求チェックと「見える化」
誤解があれば恐縮ですが、近年、欧米のリーガルテック企業はe-ビリング(電子請求)システムにAIを組み合わせた革新的なツールを提供し始めています。例えば、Brightflag社のプラットフォームはAIを活用した法務請求書レビューを行い、企業の法務部門が受け取る弁護士費用の請求を自動で精査してくれます。
具体的には、AIが請求書の項目と時間記録を解析し、「どの事務弁護士が何の作業に何時間費やしたか」を数秒で要約して提示します。それは、まるで経験豊富なインハウス弁護士が請求書をチェックするように、指示内容に照らして適正な時間配分かを検証できる仕組みです。
これにより不適切なタイムチャージ(ガイドライン違反など)の発見やコスト削減が飛躍的に効率化され、あるユーザー企業は「レビューと調整のプロセスが格段に迅速化し、時間とコストの両方を節約できた」と報告しています。実際、同社によればAI導入により法務コストの約10%削減とレビュー作業の80%圧縮が可能になったとのデータもあります。
また、私が米国で話を聞く機会があったLegal Decoderもまた、e-billingシステムを交換することなく、既存のシステムに上乗せすることで、これらのレビューを提供することが可能になるリーガルテックです(末尾にリンクを再掲しております)。
業界横断のデータ共有とベンチマーキング
さらに注目すべきは、こうした電子請求プラットフォームを多数の企業が利用することで蓄積される膨大なデータです。
- 例えば、Wolters Kluwer社のLegalVIEWデータベースには累計2000億ドル超に相当する実際の法律事務所請求データが匿名化されて集積されており、そのビッグデータに基づいて業界全体の料金水準や工数の相場を可視化するサービスが提供されています。
- 2025年には同社が「LegalVIEW Dynamic Insights」というインタラクティブなレート・ベンチマーキングツールをリリースしており、企業法務部や法律事務所が職位別・業務分野別・地域別に平均的な時間単価やその推移をグラフで容易に把握できるようになりました。
- このように複数企業・複数事務所間でデータを匿名共有する仕組みが整いつつあることで、従来は各社各様でブラックボックスになりがちだった「この案件に何時間かけるのが妥当か」「パートナーの時間単価はいくらが相場か」という情報が業界水準として見える化されつつあります(多分)。
- 結果として、タイムチャージの業界全体での適正化が進み、各企業が自社だけでは測れなかった「費用対効果の妥当性」を客観的データに基づき判断できる現象が起き始めています。
小括丨将来展望は、タイムチャージの廃止ではなく適正運用へ
以上の動向を見る限り、誤解があれば恐縮ですが、私個人は、タイムチャージ制そのものを業界から消し去るというよりは、テクノロジーの力を借りてその運用をより公正で効率的なものに進化させる流れが主流になると考えています。
実際、AIによる自動化が進めばルーチン作業に要する時間は劇的に短縮されるため、「これまで数時間かかっていた作業をAIが数秒で行えるなら、従来型の時間課金は成り立たないのではないか」との声もあります。その一つの答えとして定額料金へのシフトが提唱されることもありますが、先述のとおり定額制にも課題は残ります。
むしろ、有力なシナリオは、AIによって大幅な効率化が実現した世界においてもタイムチャージを完全には廃さず、その代わりAIとデータに基づく厳格なモニタリングと柔軟な値調整を組み合わせるアプローチです。例えば、あるジェネラルカウンセルは「我々(依頼者)がAIで効率化された分の時間短縮メリットを取るのか、弁護士が浮いた時間でより付加価値の高いサービスを提供するのか、そのバランスが問われるだろう」と述べています(出典)。このバランスを見極めつつ、依頼者側はデータに基づき積極的に料金モデルの見直しを提案し、事務所側もイノベーティブな仕事に集中することで、より健全な料金体系が生まれるかもしれません。
筆者自身も、タイムチャージ制は、「民主主義」のごとく不完全ではあるものの実務に適合した仕組みであり、その廃止が直ちに最善策となるわけではないと考えます。
むしろ、AIによるタイムシートの自動監査や業界横断データによるベンチマーキングが標準化することで、タイムチャージ制はより透明でクライアントフレンドリーな形に進化していくでしょう。既に多数の企業法務部門がこうしたAI監査ツールやデータ分析を導入し始めており、1社単独では是正困難だった「非効率なタイムチャージ」も集団知によって是正されつつあるのが2025年現在のトレンドです。今後は法律事務所側もこうした流れを前提にビジネスモデルを再構築していく必要があり、タイムチャージと代替手数料の最適な組み合わせをテクノロジーとデータ活用によって追求する時代が本格化すると言えるでしょう。
皆さまはどう思われますか?
関連情報
- Legal Decoder丨Legal Decoder(We help companies and law firms analyze legal spend and billing data to gain valuable insights for better decision-making.)―本文で取り上げたe-billingシステムに追加することで、タイムチャージの請求をより正確にAIレビューしてコスト削減を助けてくれるツール。日本ではまだほとんど知られていない可能性が高い。
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(了)
※記事に関しては個人の見解であり、所属する組織・団体の見解でありません。なお、誤植、ご意見やご質問などがございましたらお知らせいただければ幸甚です(メールフォーム)。
日本経済新聞の月曜版「税・法務」は、多くの法務部門や弁護士の方がご覧になっていると思います。今週の注目記事を取り上げながら、皆さまのご意見も伺えれば幸いです。学びの途中ではありますが、情報交換の場として活用いただければと思います。
週末には月曜版「税・法務」を占っておりますが、紙面で大きく扱われる記事というよりも、私たち「法務/組織内弁護士」に役立つ内容に焦点を当ててご紹介しております。今週は、児玉記者の記事が「ぐっと」胸に響き(まさに待っていましたという思いで)、謹んでご紹介申し上げます。
今回は「タイムチャージ」についてです。Airbnbの業務で出会ったタイムチャージを適正化する「最新の米国のe-billing」ツールに着想を得て、私(1人の組織内弁護士)なりに「タイムチャージ」と「法務部門(クライアント)」の関係の「将来像」について若干の考察を加えました。