集団の妙:法律家としての集団思考との向き合い方
「三人寄れば文殊の知恵」とはよく言いますが、法律の現場にいると、必ずしもそうとは言い切れないことも多々あります。弁護士という仕事は、基本的に個人プレーのように思われがちですが、実際には事務所や業界団体といった集団の中で、他者との協働を求められることが少なくありません。そんな中で、私たちが時折陥るのが「集団思考」という罠です。
パリのサロンと日本の取締役会
集団思考という言葉の源流をたどると、私たちをパリのサロンへと誘います。19世紀、パリの上流階級が集まるサロンでは、貴族や知識人が政治や文学について論じていましたが、そこには「上品さ」と「知性」を保つための見えないルールがありました。彼らは互いに賛同し合い、意見の異なる者は排除され、結果として「考えの均質化」が生まれたのです。これは、まさに、かつてのコーポレートガバナンスが強化される以前の取締役会などにおける集団思考そのものではないでしょうか。
私のある友人が、あるパリのサロンを訪れた時のことです。彼はある著名な美術評論家が、まったくもって的外れな意見を述べた瞬間に、周囲の人々が一斉に賛同の拍手を送り始めたのを目撃しました。驚いた彼は、評論家の意見の背景に何があるのか質問してみたのですが、周囲は一斉に沈黙し、あげくには「そんなことはどうでもいいじゃないか」と言われてしまったそうです。これは、19世紀のパリのサロンで繰り返された「表面上の意見の一致」の現代版だったのでしょう。
法律家としての「外部者」の役割
では、私たち法律家が集団思考の中でどのような役割を果たすべきかを考えてみましょう。例えば、ワンマン経営者が支配するA社の取締役会において、社長の提案に対して誰も反対意見を述べられないという状況を想像してみてください。このような場面では、法律家が「冷静な外部者」としての立場を保ちながら、集団思考に一石を投じることが求められます。
弁護士が、ある顧問先の企業で、経営陣が「法的に問題があるのでは?」と指摘されながらも、誰も反対意見を口にしないという場面に出くわしたことはあるかもしれません。弁護士が「皆さん、この案には確かにメリットがありますが、もしこれが法律に抵触した場合、取り返しのつかない事態に発展する可能性があります」と発言した瞬間、会議室の空気が一変しるかもしれません。誰もが「反対意見はタブー」という無言のルールに従っていたのです。弁護士はさらに、「私の仕事は、皆さんが法的なリスクを避けつつ、最善の選択をする手助けをすることです」と伝え、ようやく他のメンバーもリスクについて考え始めたそうです。
ビックス湾事件の教訓
集団思考の危険性を考えるとき、歴史に学ぶことが重要です。例えば、ケネディ大統領の「ビックス湾事件」はその典型です。彼は、自らのブレインたちの忠告を無視し、強硬な作戦をイケイケドンドンと実行に移しましたが、その結果は大失敗に終わりました。この事件は、「賛成意見が優勢であるときこそ、反対意見に耳を傾ける必要がある」ことを教えてくれます。誰もが「もう後戻りはできない」と感じ、反対意見は排除され、集団思考の典型例として語り継がれることになったのです。これらの歴史的教訓は、現代の企業や法律事務所においても、意思決定プロセスの中で警鐘を鳴らすものです。
法律家としての反対意見の意義
法律家として、私たちは集団思考の危険を常に意識し、必要なときには「外部者」としての意見を述べることが求められます。もちろん、これには勇気がいりますし、周囲からの圧力も感じることがあります。しかし、私たちの役割は、企業や組織が法的リスクを避け、健全な成長を遂げるために必要不可欠なのです。
集団の中で孤立を感じることがあっても、私たち法律家が沈黙を選ぶことは、クライアントにとって決してプラスにはなりません。歴史的な教訓を踏まえつつ、日々の業務の中で冷静な判断と的確なアドバイスを提供すること。これが、私たち法律家に課せられた使命であり、集団思考という罠に立ち向かうための最善の策なのです。
司法書士の「二大雑誌」の1つ『月刊登記情報』(きんざい様)での管理人の連載「法律業務が楽になる心理学の基礎」(京都大学の心理学の先生にレビュー頂いておりました)をベースとしたエッセイ風の気楽な読み物です。エッセイでの設定は適当です。
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