組織内弁護士の研究材料―マイクロソフト社の顔認識テクノロジ見解公表に見る法務アプローチと法務の役割 (1)

テクノロジーの時代における法務のリーダーシップ

マイクロソフト社の顔認識テクノロジの見解公表

2018年12月13日、マイクロソフト社は、同月6日付「Facial recognition: It’s time for action」の日本語訳である「顔認識テクノロジに関する当社の見解について:今が行動の時」を公表しました。日本の若手組織内弁護士の皆様は、「ジェネラルカウンセル」が語られる際に登場する(様々な革新的手法を生み出した)ブラッド・スミス氏(役職:マイクロソフト社 プレジデント 兼 最高法務責任者)の名前で当該文書が発出されていたことにお気づきだったでしょうか。この見解公表は、日本の法務(組織内弁護士)のリーダーシップに課せられた「テクノロジーの時代」における新たな役割を見事に描き出していると考えています。

法務「パートナー機能」の米国製最新鋭手法

結論から言えば、ブラッド・スミス氏とマイクロソフト社法務チームによる本アプローチは、「ジェネラルカウンセルの広範な役割」及び「(法務の)パートナー機能」を研究するための(米国発)最新鋭の貴重な素材といえます。

第1回は、なぜ貴重な素材といえるのか?についてベン・W・ハイネマンJr『企業法務革命―ジェネラル・カウンセルの挑戦―』(商事法務、2018年)や『国際競争力強化に向けた日本企業の法務機能の在り方研究会報告書』(経済産業省、2018年)にも触れながら概説したいと思います。

日米にみた法務部門の役割を際立たせる素材

ガーディアン?パートナー?

日本企業において法務部が一般的に経営陣・事業部から期待されている役割とは何でしょうか。先進的な企業を除いて、一般的には、事業に関する法令適合性(違法か適法か)や契約書の審査等を行う部門と考えられていると思います。ただし、残念なことに、企業の中には「法務部」という部が独立して存在しない会社もまだあります(総務部門の一部署など)。

日本の経済産業省は、企業の国際競争力を強化する観点から、平成30年1月から3月まで4回にわたり「国際競争力強化に向けた日本企業の法務機能の在り方研究会」(座長:名取先生)を開催し、日本企業の法務機能の在り方について報告書を取りまとめました。同報告書は手厳しく日本の法務部門の実像と課題を指摘しており、「ガーディアン」にすらなっていない法務部門があることの示唆以外にも、「ガーディアン」の役割を超えた「パートナー機能」を備えていない法務部門の存在も、日米の比較を通じて、明らかにしています。例えば、日本企業の法務部門は経営陣からどのくらい意見・判断を求められているのでしょうか?また、日本企業の法務部門は重要案件について法的問題がある場合に適切にこれを変更できる権能を付与されているのでしょうか?やや衝撃の調査結果は下記のとおりです(他の項目についても、リンク先資料[概要版が見やすい]からご覧いただけます)。

経営陣からの意見・判断を求められる頻度 日本: 「月数回」が53%「年1回」が26%  米国: 「毎日」「週数回」を合わせて約70%

『国際競争力強化に向けた日本企業の法務機能の在り方研究会報告書』(経済産業省、2018年)

重要案件の変更可能性: 日本では「助言のみ」が約60%を占めたが、米国では「変更可」「案件によって変更可」で100%

『国際競争力強化に向けた日本企業の法務機能の在り方研究会報告書』(経済産業省、2018年)

法務のリーダーシップ 〜「何が適法か」だけではなく「何が正しいか」を問い続ける

GEの元ジェネラルカウンセルであるベン・W・ハイネマンJr氏は、ジェネラルカウンセルの役割について、下記のように述べるとともに、アジア・ヨーロッパにおける組織内弁護士の役割は、ハイネマン氏が述べる「広範な役割」に至っていないと指摘するところです。

『パートナーとガーディアン』(略)企業を支援するという重要な役割を演じるジェネラルカウンセルが、高い業績を倫理性及び健全なリスク管理と融合させるという基礎的な目標(を負う)…

企業と社会との交流の場において、業績や倫理性、リスク管理に関して、「何が適法か」だけでなく、「何が正しいか」を常にしつこく問わなければならない

この「正しいか」という問いかけが生じるのは(略)ジェネラルカウンセルが意思決定に貢献するとともに、価値を創造し、高い倫理性と健全なリスク管理を企業に根付かせるという戦略や作戦目標を実践するという企業の生存に関わる役割を演じているからである。

ハイネマン『企業法務革命―ジェネラル・カウンセルの挑戦―』500頁(商事法務、2018年)

これに対して、ハイネマン氏の同書に対する「目新しさはない」と題する書評が、ハイネマン氏の説明・主張の本質を捉えきれておらず、日本のステレオタイプな法務の役割を示唆していたので引用します(お考え自体を否定するものではありません)。

結局、専門性を高め、事業を理解し、信頼を蓄積しようという、日本でも散々説かれてきた法務部員のあり方と本質的に異なる主張はな[かった]

Amazon カスタマーレビュー 「5つ星のうち2つ星」目新しさはない 2018年9月12日

ハイネマン氏の『企業法務革命―ジェネラル・カウンセルの挑戦―』の要約としては(少なくとも文言から合理的にこの書評を理解する範囲では)著しく不正確であり、日本の法務がまだ大多数において実現できていない、決定的・本質的違いを見逃していると私は感じています。

何が正しいかを創造して企業に根付かせる法務のリーダーシップ」という光を当てるとマイクロソフト社の見解に潜む光のスペクトラムが見えてくる

なぜなら、ハイネマン氏が指摘する企業と社会との交流の場において、業績・倫理性・リスク管理に関して、「何が適法か」だけでなく「何が正しいか」を創造し、企業に根付かせるリーダーシップが果たして「日本でも散々とかれてきた法務部員のあり方」に包含されてきたのか、経済産業省の客観的な調査結果を見ても、大きなクエスチョンマークと言えます。仮に年1度程度しか経営陣から意見を求められない法務部門であった場合、何が適法かを超えて、経営者の良きパートナーとして、「何が正しいか」を創造し、企業に根付かせるリーダーシップを果たすことができるというのでしょうか。

さて、マイクロソフト社の見解公表(組織内弁護士として学ぶべき手法としての側面)について、第1回は4つのスペクトラムに分けて自分なりの見解を述べます。(※なお、本記事は研究のためのノートであり、私自身が勉強中であり、不正確かつ見解の根拠が十分ではない箇所もございます、予めご容赦ください)。

概要、今回の見解は、①2019 年中の政府による法律制定(ハードローによる規制)、及び、②マイクロソフトの行動規範、の双方を提言・発表を含みます。

見解をつぶさに読むと、「なぜ、マイクロソフト社は、これをわざわざ公表したのだろうか?」、ブラッド・スミス氏の役員机に最終の社内報告書がまわされ、行動規範が社内でこっそりと施行されただけでは足りなかったのです。

下記AからDの4つのスペクトラムは、仮定を含みますが、組織内弁護士が検討すべき素材としての面白さが凝縮されています。

(A) 法務部門が法的調査を既に完了し、計算されたリスクで顔認識テクノロジを用いた事業を評価するための「法的評価の枠組み」を既に持っている

第1に、企業がある「法律的提言」及び「公共政策的提言」を行うに当たり、まず、法律の現状の枠組みの検討が不可欠です。例えば、極端な例ですが、住宅宿泊事業(ホームシェアリング)が現行法で適法で何の不自由もなければ新しい民泊新法など不必要です。このような、新たな法律的提言を行うに当たっては、現行法(米国での判例法を含む)の枠組みをまずクリスタルクリアにする必要があります。マイクロソフト社は2018年7月13日付「Facial recognition technology: The need for public regulation and corporate responsibility」を既に公表し、さらに今回の見解で『世界中のテクノロジ専門家、企業、市民社会団体、学術界、政府担当者などと議論を進めてきました』と記載しています。上記のタイムラインと今回の踏み込んだ2019年のハードローの制定に言及していることを総合すると、顔認識テクノロジに関する「法的リスク(法令、裁判例、その射程と評価、法執行)」という網羅的な法務的分析は既に終えたと考えるのが自然です

これは他の法務部にとっては大きな脅威です。仮に、読者の会社が米国で顔認証テクノロジを事業に用いることを検討している場合、(A)が完了していなければその時点で法務としてはマイクロソフト社に他社全社がBehindしているといえます。

日本で言い換えると、トヨタ社が「自動運転に関する現時点で必要・可能な法的検討は全て終えましたので、法律の枠組みを提言します」とプレスリリースで公表するようなもので、他の自動運転に関する事業をサポートする法務部門からすれば、経営陣から、「いつ我が社は法的検討を網羅的に終えて私と取締役会に経営判断の枠組みを示してくれるのか?うちの法務部門はなぜ先んじた検討をしていないのか?競合する他社との競争に遅れてしまう。」と叱咤されるような事態です。

(B) ハードローのルールメイキングにおいて主導権を握ると「自社が実現可能なバー」を超えられない他社はグレーから黒になる

次に、ハードローのルールメイキングにおいて、顔認証テクノロジで競合する企業に対して、自社の豊富なリソース(技術や法務体制含む)で実施可能な範囲の高めのバーを設定することに成功するとどうなるでしょうか。ルールは障壁になり、他社にはコストになります。

ルールメイキングをリードすることは、常に自社での実施可能性の対話を可能とし(できないことを提言できる企業はない)、かつ、同時にルールのメモリを少し厳しめにセットすれば、「法律を守る企業」と「守りたくてもリソースなどから守れない企業」が生まれてくる場合も論理的にはありえます。

例えば、ある新進気鋭のベンチャー企業が低い倫理スレスレの事業を考えていた場合(例:国家警察機関に対して常時民衆を監視できる顔認証システムを提供するなど)、仮にマイクロソフト社の提唱するバーがハードローで何らかの形でセットされてしまった場合、そもそも事業として成り立たない(グレーがブラックになる)ことになります。

さらに、例えば、マイクロソフト社により提唱されている「人間による結果の有効なレビューを行うことを義務付けるべき」は(価値判断を捨象して)「コスト」として光を当てると、どうでしょうか。例えば、革新的な顔認識テクノロジをもったスタートアップ(30名)が、新しいルールメイキングにより、「人間によるレビュー」を義務付けられた場合、果たしてこのスタートアップはレビュー部門を新設してお金をかけて採用することができるでしょうか。マイクロソフト社ができても、他の会社ができない要件がセットされた場合、ルールメイキングは、これらの会社を法律の手を借りて退出させるという側面もあることは見逃せません。本件事例でこれが狙いと断定しているわけではなく、このような側面を見逃さずに経営陣のパートナーとして法務から提案ができているかが学ぶべきポイントです。

(C) 社会の接点から生じる「負」の声を予めコントロールする

現時点で「適法」であるとしても、法律の文言・解釈に関係なく、政治・社会・マスメディアから巻き起こるネガティブな声=「企業と社会との交流の場における問題点」によりルールが変化することがあるのは皆様ご承知の通りです。

例えば、いまは適法な「公道での観光客向けゴーカート」が、街路に溢れて、挙げ句、不幸な事故を生じさせ、外国人はそのまま帰国し会社も責任を取らなかったと仮定します。このような場合、当時は適法であったとしても、「企業と社会との交流の場における問題点」によりルールがネガティブに変化することがありえます。

顔認識テクノロジに関する将来の測定困難なリスクをMitigate(緩和)する狙いがこの見解公表には秘められています。すなわち、マイクロソフト社の提言するアプローチや行動規範を拡大浸透させることにより、未来を変えるのです。

何も行動しなければ起こるはずの社会的問題の発生確率(likelihood)を予め緩和したり、そもそもそのような社会的問題が生じない未来を作りだすことを企図しています。

なお、既に述べた通り、現時点で適法であるとしても、ワーストケースシナリオとして、「社会」のVoiceを受けて、本来規制される必要がなかった顔認識テクノロジの事業ドメインにまで過剰な規制・手続(ときに制限ではなく禁止)が及ぶことがありえます。その意味でも、現時点でこのような枠組みを提唱することにより、(規制されるべきではない)守るべき本丸の事業をProactiveに守るという意味合いもあります。

「法律の専門性」だけを高めても(ガーディアン機能が突出した)「専門家」になるのが限界であって、ハイネマン氏が説く「何が適法か」だけでなく「何が正しいか」を創造し、企業に根付かせるリーダーシップは「法律の専門性」から必ずしも派生しないと思われます。この点で、(C)の側面は、特に若手の法務部門の方は「学ぶ素材」としてノートテイクしたいポイントといえます。

(D)従業員が「テレスクリーン」を新規事業と考えない

加えて、マイクロソフト社の行動規範は「正しいこと」を示しており、「正しくないこと」が事業として進められたりすることを未然に防ぎます。経営の意思決定として「越えてはならない一線」が明瞭に示されたのであり、法令遵守及び広い意味での倫理を含むコンプライアンスの両面で、マイクロソフト社が顔認識テクノロジの場面において、残念かつ衝撃的なミスを起こす確率自体が極めて低くなったといえます。

例えば、この行動規範により、従業員が、馬鹿げた倫理おかまいなしの顔認識テクノロジを含む事業アイデア(例えば、ジョージ・オーウェルの1984年に出てくる国家が24時間365日監視するためのテレスクリーン[いつもこちらを監視しているテレビのようなモニタで、反体制的な行動を部屋でとろうものなら、すぐに逮捕される])を持ってくることもなくなり、かつ、各事業において法務部への相談前に、この行動規範を見て、みずからセルフチェックを行い、「何が正しいか」の判断を(法務のブラックボックスから解放して)社内に根付かせることができます。

問題が起きてから「行動規範」を作ることは容易いですが、問題が現に起きる前にその時点で「正しいこと」を社内で「行動規範」として示せるリーダーシップを法務チームがパートナーとして果たしている点で、私は、非常に謙虚な気持ちで、このマイクロソフト社の取り組みに尊敬の念を抱かざるを得ません。

見解公表に秘められた「正しいこと」をする

上記のとおり、マイクロソフト社の見解は、『企業と社会との交流の場において、業績・倫理性・リスク管理に関して、「何が適法か」だけでなく「何が正しいか」を創造し、企業に根付かせるリーダーシップ』があますところなく発揮されており、単に、顔認識テクノロジに関する意見として見るにとどめるにはあまりにも貴重な素材であることを改めて強調したいです。

私は、最大限の敬意をもって、さらに時間をかけて、このマイクロソフト社の見解公表については謙虚に学び、皆様と勉強したいと考えております。第2回以降も調査の上、記事を公開した際にはFBなどでシェアいたします。


※記事に関しては個人の見解であり、所属する組織・団体の見解でありません。なお、誤植、ご意見やご質問などがございましたらお知らせいただければ幸甚です(メールフォーム)。

顔認識テクノロジに関する当社の見解について:今が行動の時

補足:増島先生の記事が有益

見解の「内容」については、森・濱田松本法律事務所の増島雅和先生の記事が大変勉強になりますので、ご参照ください。本記事及び次回以降の記事は、あくまでの「組織内弁護士の役割」に照らしたアプローチの分析・検討を続けます。

第1に、開発が初期段階にある現状から、その利用が社会の偏見を助長し、更には法令違反となる差別を含む意思決定を生み出すリスクが高まることを指摘しています。第2に、顔認識技術の利用によるプライバシー侵害の可能性、そして第3に、政府による大規模監視のための顔認識技術の利用が、民主主義を損なう可能性について言及しています。そのうえで、これらの問題に対処するためには、民間企業による自主規制では足りず、法規制の導入が必要であるというMicrosoft社の主張が展開されます。

Microsoft社の顔認識技術への対応にみる、大企業によるresponsible innovation 戦略と技術的地政学

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