
「余命1ヶ月」の問いから、生命の再起動へ。4大陸を巡るサバティカル休暇で、私が「世界一周」を選んだ理由
かつて私は、このブログで一つの思考実験を行いました。 「もし、余命1ヶ月だとしたら、あなたは何をしますか?」
(1) 誰しも「余命1か月。人生やり残したことで、何をやりますか?」ーという問答を考えたことがあるはずです。
(2) しかし、リアルに問を考えれば、医療支援必須な状態であり、旅先(県外/外国)で、気ままに1人死去するわけには参りません。
(3) きっと、私含め多くの方が、「残された人に迷惑かけれない。だから、残り1か月は、迷惑かけない範囲のやり残しをやる。」というー配慮と妥協ーに落ち着く気がします。親族でさえ、余命1か月の人を心配し、未知への冒険/挑戦を制止するかもしれません。
死という不可避のゴールから逆算したとき、人は初めて「生」の純度を極限まで高めることができる…。そんな根源的な問いかけを、忙しない日常の中で自分自身に投げかけた記事です。
あれから時が経ち、私はAirbnbでの勤続10周年という大きな節目を迎えました。そこで会社から与えられたのは、余命ではなく、4週間という祝福された「サバティカル休暇(Decade Club)」でした。
この貴重な空白の時間を、どうデザインするか。 私の答えは決まっていました。かつての思考実験を実行に移すこと。すなわち、地球をもう一度、西から東へと一筆書きで巡ることです。
今回は、スターアライアンスの世界一周航空券(ビジネスクラス)を手に、北米、欧州、アフリカ、アジアの4大陸を駆け抜けました。 これは単なる旅行記ではありません。なぜ、キャリアの踊り場にいる大人が、サバティカル休暇に「世界一周航空券」という戦略的投資を行うべきなのか。その圧倒的な価値と、旅を通じて再起動(リブート)された私のOSについての記録です。
戦略としての「スターアライアンス世界一周航空券」
まず価値観は多様ですが、謹んで「断言」します。
もしあなたが数週間のまとまった休暇を手にしたなら、迷わずスターアライアンスの世界一周航空券(ビジネスクラス、上記記事で述べた通り、1ヶ月3万円貯金したら3年後に誰でも等しく買えます。)の発券をぜひご検討ください。特に、真面目な方であればあるほど、また、私同様に「休み下手」 であればあるほど(チェック項目:休み中もメールをスマホやPCでコツコツ見ている)、昔の自分に声をかけるように温かく、しかし、やや強く推奨いたします。
多くの人にとって世界一周は「学生時代のバックパッカー」あるいは「引退後の夢」というイメージかもしれません。しかし、現役のビジネスパーソンこそ、このチケットを「知的生産のための最強のツール」として使い倒すべきです。






3週間強で4大陸を移動し、時差と気候の壁を越え続ける。この過密な旅程において、ビジネスクラスという選択は決して贅沢ではありません。
それは「移動そのものを、究極の休息に変える」ための投資です。
海外の空港では、長蛇の列を避けて「セキュリティチェック」「出国審査」すら優先レーンが設けられ、あなたのお荷物は真っ先にベルトコンベアに出てきます。また、空港のラウンジは静寂な書斎となり、雲上のフラットシートは深い眠りを約束するベッドルームとなります。空港に降り立った瞬間、心身ともにクリアな状態で、疲れは「ゼロ」のままその土地の歴史や文化にフルコミットできる。この「回復とインプットのサイクル」を高速で回すことができるのが、このチケットの真価なのです。
旅のルール:少量を取り込み、か細くなった「心の声」を聞く(吾唯足知を徹底する)
今回は、時間がある限りできる限りにことをする、とは対極の「少量をじっくり取り込む」(取込率)重視の旅の設計をしました。早朝一番乗りで重要などうしてもいきたい美術館や史跡を訪ね、昼前にはインターコンチネンタルホテルに戻り、午後は無理して外出することなく、休んだり内面の静かな対話・整理・自己内省に当てて精神面の統合作業をコツコツと続ける、そして、1回だけミシュランのお店を訪ね、現地の食文化を通じて、歴史や風土を学ばせていただく―そのような設計にしました。
ポルトガル🇵🇹、スペイン🇪🇸、イタリア🇮🇹、ギリシャ🇬🇷、エジプト🇪🇬、トルコ🇹🇷は自身ずっといきたい国リストの上位であり、新しい6カ国を一気に回ったイメージです。25年夏のオーストリア🇦🇹→ベルギー🇧🇪→フランス🇫🇷と組み合わせ、深く欧州・ローマ・ギリシャ・地中海・イスラム圏の古代から現代史までを繋げる旅でもありました。







第1章:北米から欧州へ。「最果て」と「構造」の邂逅
旅の幕開けはアメリカ。サンフランシスコとマイアミの風を浴びた後、私は大西洋を越え、ユーラシア大陸の西端、ポルトガルへと降り立ちました。
ユーラシアの西端で見る夢(ポルトガル)
リスボン近郊、ロカ岬。「ここに地果て、海始まる」。詩人カモンイスが遺した言葉を反芻しながら大西洋を見つめるとき、大航海時代の船乗りたちが抱いた畏怖と野心が、肌感覚として蘇ります。

シントラの湿った森では、レガレイラ宮殿の地下深くへと続く螺旋階段「イニシエーション・ウェル」を降りました。ダンテの神曲を模したとされるその空間は、光から闇へ、そして再生へと向かう象徴的な装置であり、近代合理主義以前のヨーロッパが持っていた濃密な精神性を突きつけてきました。

この国では「食」もまた、謙虚な探求の旅でした。 シントラの小さな村で味わった素朴なランチが大地の恵みだとしたら、リスボンの夜に訪れたミシュラン2つ星レストラン「Belcanto(ベルカント)」は、まさにポルトガルの魂を巡る船旅でした。 シェフ、ジョゼ・アヴィレスが皿の上に描くのは、この国の歴史そのものです。大西洋の荒波で育まれた魚介や伝統的な豚料理が、現代的な技法によって再構築され、まるでアートのように現れる。一口味わうごとに、かつて世界へ漕ぎ出したポルトガル人の冒険心と、食材への深い敬意が響き渡るようでした。最果ての地で出会った、野性と知性のコントラスト。それは旅の序章にふさわしい、鮮烈な体験でした。
「情熱」と「理性」の建築学(スペイン・バルセロナ)
空路でスペインへ向かう機上、眼下の景色は劇的に変わります。イベリア半島内陸部の赤土の大地(メセタ)が続き、エブロ川の流域を経て、地中海の鮮やかな緑へ。 バルセロナでは、ガウディのサグラダ・ファミリアやグラシア通りの整然とした街区を歩きました。この街は「ラテンの情熱」だけでできているのではありません。極めて精緻な都市計画と「理性」の上に、芸術という花が咲いているのです。

そして、私の人生観を変える瞬間が訪れました。サグラダ・ファミリアです。 足を踏み入れた途端、言葉を失いました。それは単なる教会ではなく、巨大な「光の森」でした。ステンドグラス越しに降り注ぐ光は、東からは希望の青と緑、西からは情熱の赤とオレンジとなって石柱の森を染め上げます。 ガウディは言いました。「直線は人間に属し、曲線は神に属する」と。計算し尽くされた構造力学と、神への純粋な祈りが融合した空間で、光のシャワーを全身に浴びたとき、私の中で何かが静かに解け、そして再構築されるのを感じました。それは、人が作りうる美の極致が、魂を直接揺さぶる体験でした。
ここではすべてを語ることができませんが、たしかに、私はこの体験を通じて約40年間の苦悩も含めた内面を静かに統合することができたのです⋯。

その感覚を確信に変えたのが、ミシュラン一つ星レストラン「Aleia(アレイア)」でのディナーでした。 名建築カサ・フステルの中に位置するこの店で、シェフのラファ・デ・ベドヤが提示したのは、アンダルシア(南)の温かな感性と、カタルーニャ(北)の構築的な美学の融合でした。エブロ川デルタの赤エビやフィゲーレスの玉ねぎといった地元の素材が、完璧な火入れと温度管理によって「味の建築」として皿の上に立ち上がる。それは、味わうというよりも、バルセロナという都市の構造そのものを舌で解析するような、知的な体験でした。

第2章:地中海の美学。「論理」と「信仰」の均衡
旅は東へ。イタリアとギリシャ、文明の揺りかごへ。
構築される美、響き合う音(イタリア・ミラノ)

ミラノでは、レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』と対峙しました。壁画の中の遠近法が一点に収束するように、この街のすべては計算された美学の上に成り立っています。ドゥオーモの尖塔越しに望むアルプスの峰々、そして地下鉄に乗れば、シーメンス製インバータが奏でる「ドレミファ」の音階までもが音楽的に響く。 ここでも食の体験が、都市の理解を深めました。

ミシュラン一つ星「Andrea Aprea(アンドレア・アプレア)」。ナポリ出身のシェフがミラノで表現するのは、「記憶の再構築」です。ナポリの漁師料理「ルチアーナ風イカの煮込み」を、煮込まずに低温調理と抽出した香りのソースだけで表現した一皿。それは、南イタリアの情熱的な魂を、ミラノの冷徹なほどの理性で磨き上げた、まさに現代イタリアの縮図でした。

ルネサンスの揺りかご、時間を食べる街(イタリア・フィレンツェ)
ミラノから高速列車フレッチャロッサで南下し、トスカーナの州都フィレンツェへ。「屋根のない美術館」と称されるこの街で、私は朝一番のウフィツィ美術館に足を踏み入れました。 まだ観光客のいない静寂な回廊を抜け、ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』と対峙した瞬間、500年の時が消滅する錯覚を覚えました。かつてメディチ家がパトロンとなり、金融と芸術が交差したこの場所には、人間が神ではなく「人間」を見つめ直し、自らの可能性を信じたルネサンス(再生)の熱量が、今もなお保存されています。

ミケランジェロ広場から街を一望すれば、ブルネレスキの巨大なクーポラ(ドゥオーモ)とアルノ川が織りなす景観が、まるで一枚の絵画のように広がります。 その感動を反芻しながら訪れたのが、アルノ川を渡った先にある老舗トラットリア『Mamma Gina(マンマ・ジーナ)』でした。ここで味わったのは、トスカーナの伝統料理「リボッリータ」。硬くなったパンと野菜を煮込んだこの素朴なスープは、かつての農民の知恵であり、「時間の経過を旨味に変える」というこの街の哲学そのものでした。華やかな芸術と、大地の滋味深い料理。フィレンツェは、視覚と味覚の両方で「時間」の尊さを教えてくれる場所でした。
永遠の光と知性(ギリシャ・アテネ)
そしてアテネ。朝8時、朝陽を浴びて黄金に輝くパルテノン神殿に一番乗りした瞬間の震えは、生涯忘れることがないでしょう。 ペンテリコン山の大理石で組まれたその柱は、遠近法を考慮してわずかに湾曲(エンタシス)しており、人間の目に「完全な直線」として映るよう計算されています。古代ギリシャ人が神に捧げたのは、単なる祈りではなく、極限まで研ぎ澄まされた「知性」そのものでした。サロニコス諸島の碧い海と遺跡に眠る猫たちの中に、数千年前から変わらない「永遠の午後」を見ました。

紺碧の休日、そして祈りの島(ギリシャ・サロニコス諸島)
アテネの理知的な興奮を鎮めるように、私は船でエーゲ海へと漕ぎ出しました。目指すはサロニコス湾に浮かぶ三つの宝石、イドラ、ポロス、そしてエギナ島です。 車の乗り入れが禁止されたイドラ島では、石畳の路地を猫たちが主人のように歩き、エンジン音のない静寂そのものが音楽のように流れていました。ポロス島への航路で目にした海上の古砦「ブルジ」は、かつてこの碧い海が独立を賭けた戦いの舞台であったことを静かに物語っています。

そして、旅のハイライトはエギナ島で訪れました。聖ネクタリオス修道院。ギリシャ正教で最も敬愛される「癒やしの聖人」の棺が、年に一度だけ開かれるその日に、偶然にも居合わせたのです。 香煙が揺らぐ堂内、人々が静かに祈りを捧げる光景は、宗教という枠を超えた、人が人を想う「祈り」の原風景でした。私もまた、遠く離れた大切な人々の健康と平穏を願い、静かに頭を垂れました。パルテノン神殿で古代の理性に触れ、この島で聖なる慈愛に触れる。ギリシャという国は、人の心の最も深い部分を、光と静けさで満たしてくれる場所でした。
第3章:歴史の深淵、そして円環が閉じる場所
旅はアフリカ大陸へ飛び、そしてアジアへと回帰します。
五千年の記憶(エジプト・カイロ)
2025年11月、ついに全面開館したばかりの大エジプト博物館(GEM)。日本の支援によって最新の展示スペースで奉られたツタンカーメンの秘宝と対面し、ギザのピラミッドを前に佇むとき、紀元前3000年から吹き続ける風を感じました。

ここでは、現地のAirbnbホストとの出会いが忘れがたいものとなりました。アラビアンナイトのような路地裏、サトウキビジュースの甘さ、そして厳格だと思っていた人々が音楽に合わせて踊る姿。歴史の重厚さと、今を生きる人々の軽やかな生命力が交差するカイロは、私の固定観念を心地よく裏切ってくれました。

文明の交差点(トルコ・イスタンブール)

旅のフィナーレは、ボスポラス海峡を見下ろすイスタンブール。 丘の上からアジアとヨーロッパ、二つの大陸を行き交う船を眺めました。アヤソフィアとブルーモスクが並ぶスカイラインは、ビザンツとオスマン、キリスト教とイスラム教が、対立しながらも同じ場所で歴史を紡いできた証です。

イスタンブールの夜は、金角湾を見下ろす歴史的建築SALT Galataの中にあるミシュラン一つ星「Neolokal(ネオロカル)」で過ごしました。 シェフ、マクスット・アシカンが掲げるのは「伝統を未来へ」という哲学です。アナトリアの大地で忘れ去られようとしている食材やレシピを、現代の技法とサステナビリティの精神で再構築する試み。 「イマム・バユルドゥ(僧侶が気絶したナス料理)」などの古典が、洗練された一皿として目の前に現れたとき、私は単に食事をしているのではなく、アナトリア数千年の食文化のバトンを受け取っているのだと実感しました。それは、変えてはいけない「本質」を守るためにこそ、形を変え続けなければならないという、この国の力強いメッセージでもありました。



ふと、あることに気づきました。旅の初めにポルトガルで見たアズレージョ(タイル)の青。その源流が、ここトルコのイズニクタイルにあることに。西の果てで見た美が、東の果てで起源と結びつく。私の旅の中で、世界が一本の線で繋がり、円環が閉じた瞬間でした。
旅の伴走者としてのAI
今回の旅で特筆すべきは、AIという「無限に知的な伴走者」の存在でした。
- 「メニューの翻訳に加え、この料理の元となった『地元の伝統料理』について解説してください。私は現地の食文化に詳しくないため、地元の人ならすぐにピンとくるオリジナルの料理がどのようなものか、その食材や社会的背景を含めて教えてください。シェフが何にオマージュを捧げているのか、その文脈を理解したいです。」
- 「この一皿の構成要素は、単なる創作とは思えません。これはオスマン帝国の宮廷料理、あるいは古代ローマのレシピに対する現代的な再解釈(オマージュ)なのでしょうか? その系譜を解説してください。」
- 「この料理に見られる独特の火入れ技術は、どのような生活様式に由来するのでしょうか? 遊牧民族的な焚き火調理の名残なのか、それとも定住農耕社会の共同窯の文化なのか、民俗学的な背景を教えてください。」
- 「この都市のジェネシス(起源)を、地政学的な要衝としての観点から分析してください。特異な地形がいかにして城塞都市としての防衛機能を高め、また地中海貿易のハブとしての繁栄を約束したのか解説してください。」
- 「アクロポリスの頂点にパルテノン神殿が配置された意図について、アカデミックな通説を教えてください。ペリクレス時代の政治的プロパガンダや、エンタシスのような数学的合理性との関連から論じてください。」
- 「この建築物の様式や配置は、オスマン帝国特有の『ミレット制度』と相関関係にありますか? 異教徒の居住区画や建築制限といった歴史的背景が、現在の景観にどう刻印されているのか解説してください。」
- 「この国の現状をマクロな視点で俯瞰したいです。人口動態が経済に与える影響、主要産業の構造的強みと脆さ、そして地中海・中東情勢の中で抱える外交的ジレンマについて、要点を整理してください。」
- 「ポルトガルのアズレージョとトルコのイズニクタイルについて、比較芸術論的な解説をお願いします。イスラム美術の幾何学模様が、シルクロードを経て西と東でどのように分岐したのか、歴史・化学・意匠の観点から立体的に語ってください。」
現地で浮かんだ疑問をその場で問いかけ、歴史的・学術的な背景を理解しながら歩くことで、旅の解像度は劇的に上がりました。単に「見る」だけでなく、その背景にある文脈を「学ぶ」旅。これは、テクノロジーを持つ現代だからこそ可能な、新しい旅の形です。
五千年の記憶と、石に刻まれた「声」(エジプト・カイロ)
2025年11月、ついに全面開館したばかりの大エジプト博物館(GEM)の一角で、ヒエログリフがびっしりと刻まれた石碑を見上げたときのことです。スカラベ(甲虫)や太陽の円盤、鳥の姿。美しいけれど、私には解読不能な記号の羅列。 私はふと、スマートフォンのカメラを向け、旅の伴走者であるAI(Gemini)に問いかけました。「この文字は何を語っているの?」

数秒後、AIは静かに答えを返してきました。 「これはツタンカーメン王の名前です。左の枠の中にあるのは『ネブ・ケペル・ウ・ラー(ラーの出現の主)』という即位名。そして右側には『トゥト・アンク・アメン(アメンの生ける似姿)』と刻まれています。上部には『良き神』『二つの土地の主』という尊称も見えますね」(実際はより詳細に、神の名前が最初に来るが発音は後になると言った文法やこのヒエログリフの文様1つ1つの意味と音を教えてくれたのです⋯。)
鳥肌が立ちました。 AIが解説を紡ぎ出した瞬間、単なる「石の模様」だったものが、王の威厳を伝える「生きた言葉」へと変貌したのです。3000年前の石工がノミで刻み込んだ祈りと誇りが、最新のテクノロジーを介して、私の脳内に直接流れ込んでくる。それは、時空を超えて古代人と意識が接続されるような、震えるほど知的な興奮でした。
ポルトガルでも、トルコでも、1日プロフェッショナルな有料のガイドさんをプライベートに雇い、色々と勉強させていただきましたが、例えば、ふと「コンスタンティノープルが陥落した際に、ギリシャ正教のトップは国外に逃れたのか?今は総本山はどこにあるのか?」と尋ねてもぱっと答えは返ってきませんでしたが、ホテルに返った後、AIに聞けば、詳細にフォローアップしてくれました。また、観光に直接関係しない、習俗と例えばその背景となっている歴史事情・社会事情・経済的事情そして最新の事情(統計データ、教育事情、複雑な産業事情、エネルギー事情、cross-regional・歴史をまたぐ複雑な質問など)はAIとの相性が良かったです。
そして「OS(オペレーティング・システム)のアップグレード」
サバティカル休暇とは、単に仕事を休むことではありません。 日常の文脈から自らを切り離し、圧倒的な異文化と歴史の中に身を置くことで、自分自身のOS(オペレーティングシステム)をアップグレードする時間です。凝り固まった思考回路をほどき、世界という巨大なデータベースにアクセスし直すことで、私たちは新しい視座を手に入れることができます。
世界は広く、歴史はあまりにも深い。
しかし、一枚の航空券と少しの勇気があれば、私たちはその深淵に触れることができます。 もしあなたが、キャリアの踊り場や人生の節目にいるのなら。あるいは、「余命」という言葉にふと心が止まるのなら。 迷わず、この世界一周航空券(スターアライアンスでもワンワールドでも)を予約してください。地球を一周して戻ってきたとき、あなたの眼に映る世界は、出発前とはまったく違う色を帯びているはずです。
最後までお読み頂き誠にありがとうございます。末尾に旅のお写真のサムネイルを追加いたしました。もしお時間がまだあれば、ご高覧ください。
関連情報
旅のお写真(サムネイル)
















ご覧いただき、ありがとうございました。
叶うのであれば、この記事がきっかけで、世界一周航空券を手に皆様が、将来、いきたい国を一筆書きで周遊される日が到来することを静かに願っております。
***
過去の論説一覧はこちら
関連する論説などを掲載したリサーチマップ(外部サイト)はこちら
(了)
※記事に関しては個人の見解であり、所属する組織・団体の見解でありません。なお、誤植、ご意見やご質問などがございましたらお知らせいただければ幸甚です(メールフォーム)。




