記憶と論理思考の迷宮を抜け出す:法律家のための心理学入門
法律家の日常業務は、知識の巨大な図書館にいるようなものです。毎日、膨大な情報と向き合いながら、何が重要で、何が不必要かを瞬時に判断しなければなりません。
まるで、無数の書棚から必要な本を探し出す司書のように。時にはその図書館で迷子になることもあり、何をどう考えればよいのかわからなくなることもあるでしょう。
今回は、その「迷子の司書」が少しでも楽になるよう、「記憶」と「思考」のメカニズムについて一緒に考えてみましょう。
記憶の三段階:クラウドサーバーに預けた写真を思い出せますか?
まずは記憶の基礎について振り返ってみましょう。
記憶とは、私たちの経験を貯蔵し、必要なときに引き出すための精神機能です。これを理解するためには、1968年にアメリカの心理学者リチャード・アトキンソンとリチャード・シフリンが提唱した「感覚記憶」「短期記憶」「長期記憶」という三段階のモデルが便利です。その後、イギリスの心理学者アラン・バドリーは「ワーキングメモリ」という考え方を提唱し、情報を保存しつつ処理するメカニズムを詳しく説明しました。
現代の法律家にとって、このモデルはまさに「クラウドサーバーに預けた写真」に似ています。
例えば、お正月に家族写真を撮影し、それをクラウドにアップロードしたとします。しばらくしてから「あの写真をもう一度見たい」と思い、クラウドサーバーを検索する。しかし、「どのアルバムに保存したんだっけ?」と迷子になることはありませんか?これがまさに、私たちが記憶の三段階を辿る際に起こる「符号化」「貯蔵」「検索」のプロセスなのです。符号化がうまくいかなければ、写真のタイトルやタグが曖昧になり、検索が困難になりますし、貯蔵がしっかりしていなければ、データそのものが欠落してしまいます。
忘れることのパラドックス:「記憶違い」とは本当に記憶違いか?
次に「忘れること」のメカニズムについて考えてみましょう。法律家にとって、「あの条文、何だったっけ?」と一瞬記憶が曖昧になることは避けられません。この「忘れること」は、記憶のメカニズムを理解する上で実は非常に重要なテーマです。心理学的には「符号化」「貯蔵」「検索」のどこかに問題が生じた場合に、私たちは「忘れた」という現象に直面します。
例えば、「あの先生の名前、何だっけ…?」という経験は誰しもあります。司法書士会の会合で過去に会ったことがある人の名前が出てこない。
彼の名前を思い出せない原因は、実は「符号化」が十分に行われなかった可能性が高いのです。初めて会ったときに名前をしっかり覚えなかった、あるいは名刺をもらってすぐにしまい込んでしまった。これでは、短期記憶から長期記憶へと移行する過程で「貯蔵」に失敗してしまいます。
ここで重要なのは、「忘れる」という現象そのものが、私たちの記憶システムの正当な機能であるということです。脳は、重要でない情報を消去することで、過剰な情報に圧迫されるのを防いでいるのです。
知識の整理術:司書のように法知識を分類する
法律家にとって、「知識」こそが最大の武器です。しかし、膨大な法律知識をただ暗記するのは至難の業。ここで役立つのが「分類」と「スキーマ」という概念です。分類とは、無数の情報を既存のカテゴリーに分け、整理する作業です。これにより、未知の事象も「これは民法の範囲だ」「あれは会社法だ」と即座に分類できるようになります。
スキーマとは、過去の経験に基づいて形成された知識の枠組みです。例えば、新しい法律の改正案が出たとき、それをすでに知っている法律の範囲で理解しようとする。これがスキーマの働きです。スキーマがうまく機能すると、法律家としての思考がスムーズになり、複雑な事案にも迅速に対応できるようになります。
しかし、スキーマが過度に固定化されてしまうと、柔軟な発想ができなくなり、かえって問題解決の妨げになることもあります。法律家としては、新しい情報を取り入れ、スキーマをアップデートする姿勢が重要です。
業務への応用:記憶と知識を活かすための工夫
では、これらの記憶と知識のメカニズムを日常業務にどう活かすか。
例えば、新人司法書士のA先生が事務所の案内やウェブサイトの構成に悩んでいたとしましょう。彼は、クライアントに対して事務所のサービスを分かりやすく伝えたいと考えています。ここで役立つのが「マジカルナンバー7」の法則です。
心理学では、人間の短期記憶は7±2個の情報が限界であると言われています。この法則に基づき、サービス内容を3つに絞り、覚えやすくチャンク化することで、クライアントが記憶しやすくなります(第7回_法律業務が楽になる心理学の基礎)。
また、電話番号やウェブサイトのドメインも、シンプルで覚えやすいものに変更し、依頼者が簡単にアクセスできるように工夫する。さらに、依頼者に説明する際には、音韻ループを利用して、覚えやすいメロディーを使うなど、記憶を助ける技法を取り入れることも効果的です。これにより、依頼者が事務所を思い出しやすくなり、信頼関係の構築にもつながるでしょう。
法律家としての記憶と知識の使い方
法律家にとって、記憶と知識は切っても切り離せない武器です。情報をどう記憶し、どう整理し、どう活用するか。これらを理解し、工夫することで、日常の業務がぐっと楽になるはずです。無数の情報が行き交う現代社会において、私たちは司書のように、迷宮の中から必要な情報を的確に取り出し、クライアントにとって最善の解決策を提示する。これこそが、法律家としての使命であり、やりがいでもあるのです。
司法書士の「二大雑誌」の1つ『月刊登記情報』(きんざい様)での管理人の連載「法律業務が楽になる心理学の基礎」(京都大学の心理学の先生にレビュー頂いておりました)をベースとしたエッセイ風の気楽な読み物です。エッセイでの設定は適当です。
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