法律家のストレスとコーピング:問題に立ち向かうか、感情を慰めるか
コーピングという言葉を耳にしたことがあるでしょうか。
最近ではストレス対策の一環として、カジュアルに使われるようになりましたが、心理学の世界ではこの概念は非常に奥深いものです。私たち法律家も、ストレスを抱えたまま日々の業務に追われています。
そこで今回は、ストレスと対処方法について考えてみましょう。
コーピングの二大流派:問題焦点型対処と情動焦点型対処
コーピング理論の大御所といえば、リチャード・ラザルスの名前がまず思い浮かびます。彼は1980年代に、ストレスの対処法を「問題焦点型対処」と「情動焦点型対処」の二つに分類しました。法律家であれば、つい「問題解決こそがすべてだ」と思いがちですが、実はそれだけでは行き詰まることも多いのです。ここでそれぞれの対処方法について、歴史的背景も含めて考えてみましょう。
まず「問題焦点型対処」とは、言葉の通り、ストレスの原因である問題そのものにアプローチする方法です。これを19世紀のフランス文学に例えるなら、ゾラの『ナナ』で描かれたパリのアパルトマンの欠陥を「直せばいいじゃないか」と修繕に乗り出すようなもの。原因に正面から立ち向かい、具体的な行動で解決しようとする姿勢です。
一方で「情動焦点型対処」とは、ストレスが生じたときの感情を鎮めることを目的とした方法です。これは、バルザックの『ゴリオ爺さん』に登場するラスティニャックが、パリの社交界で挫折を味わい、セーヌ川を見つめながら「やれやれ」と心を慰めるようなもの。問題を直接解決できなくても、心の平穏を保とうとする姿勢です。
コーピングの選択:バルザック対ゾラの二択
現実の法律業務では、これら二つのコーピング方法をどう使い分けるかが鍵となります。ある時、弁護士甲の顧問先であるA社の取締役会での出来事です。A社はある新製品の開発に多額の資金を投入していたのですが、特許関連のトラブルが発生しました。役員たちはすぐに「問題焦点型対処」に動き、弁護士を交えて特許を巡る法的な駆け引きに突入しました。しかし、経営陣は日々の会議で「もうどうしようもない」と精神的に追い詰められ、感情的に不安定になっていたのです。
弁護士甲は彼らに対して、「まずは情動焦点型対処を取り入れてみませんか」と提案しました。具体的には、経営陣同士で率直に感情を共有し合い、リラクセーションを行い、心の平穏を取り戻すことです。これによって、経営陣は一度冷静になり、長期的な解決策を模索する余裕が生まれました。結果的に、特許の問題は解決し、企業は持ち直しました。
この事例からもわかるように、法律家として「問題解決」だけに集中しすぎるのは禁物です。時にはバルザック的な情動焦点型対処を取り入れることで、結果的に「ゾラ的な問題解決」にも繋がることがあります。
現代の法律家が直面する「考えすぎ」の罠
しかし、コーピングには注意点もあります。広島大学の杉浦義典准教授が指摘するように、問題焦点型対処に過度に依存すると、かえって「考えすぎの罠」に陥ることがあります。つまり、問題に取り組むこと自体が目的となり、いつまでも解決策が見つからず、堂々巡りに陥ることがあるのです。これを法律家の業務に当てはめると、案件をより良くしようとするあまり、結果的に時間をかけすぎ、かえってストレスが溜まるということです。
弁護士乙は、ある相続案件で、依頼者から何度も確認や追加の資料を求められたことがありました。弁護士乙は「全て完璧にしたい」という思いで、期限があるにもかかわらず、期限には到底間に合わない分量の資料を何度も見直し、さらに、思いつきで関連する判例を精査しましたが、そのたびに新たな疑問が湧き、なかなか結論を出せませんでした。これこそが「問題焦点型対処の罠」だったのです(なお、完璧な調査は大事ですが堂々巡りではないか要確認が必要です)。
コーピングの妙:バランスを見つける
法律家としてのストレス管理には、問題焦点型対処と情動焦点型対処のバランスを見つけることが求められます。感情を無視してひたすら問題に取り組むのではなく、時には自分の感情に耳を傾け、休息を取ることも必要です。逆に、感情に流されすぎず、冷静に問題に向き合う姿勢も大切です。
19世紀のフランス文学の巨匠たちが描いた人間模様は、現代の私たちにも多くの教訓を与えてくれます。バルザックがラスティニャックを通じて教えてくれた「感情の扱い方」や、ゾラが社会問題に鋭く切り込んだように、「問題への向き合い方」も重要です。私たち法律家も、彼らの作品に学びながら、日々の業務におけるストレスと上手に付き合っていきたいものです。
司法書士の「二大雑誌」の1つ『月刊登記情報』(きんざい様)での管理人の連載「法律業務が楽になる心理学の基礎」(京都大学の心理学の先生にレビュー頂いておりました)をベースとしたエッセイ風の気楽な読み物です。エッセイでの設定は適当です。
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